フィラメントはなぜ切れる?

テラヘルツ波に注目した量子の研究30年

2020.02.28

フィラメントはなぜ切れる?

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もっと小さいものを測ってみよう!

このテラヘルツ波による測定器を使うと、いったいどのくらい小さいものまで測れるのだろうか? というのも、光はレンズなどを使うと、その波長程度までしか絞れないと言う性質がある。テラヘルツ波の波長は100マイクロメートルと長いので、たとえば原子のようなものにテラヘルツ波を当てても、テラヘルツ波を絞ることができず、全部すり抜けてしまうからだ。「例えば、分子の情報を見るために、たくさんの分子を錠剤のようなかたまりにしてテラヘルツ光を当て、全体の平均の情報を読むことは、今までもできました。けれども、分子や原子一つずつを個別に知ることはできなかったんです。」

平川教授の実験室で行われている方法は、微細と精密を極める。「ナノスケールの金属片と金属片をくっつけた状態のもの(金属接合と言う)を用意して、その表面に分子をまきます。そこに電流を徐々に流していくと、電球のフィラメントが切れるのと同じ現象が起るんですね。」ただし非常に小さいため、どのくらい精密な作業になるかというと「金属接合が切れた時の間隔が、原子1個ぐらいになるようにする」のだそうだ。そうして形成された1ナノメートル以下の隙間に分子1個を挟み込み、さらに金属片(電極と呼ぶ)をアンテナとして使って、テラヘルツ波を1分子にギューッと集めて計測するのである。

実験を始めた当時は、隙間が原子1個ぐらいのサイズになるとは限らなかったので、試行錯誤を行った。しかし、今は「百発百中で、急げば30秒で1原子の隙間を持つ金属電極を作れます」と平川教授は言う。そして、研究室のみんながこの技術をどんどん磨いているうちに「フィラメントのような金属がなぜ切れるかが、よく分かるようになった」のである。

フィラメントが切れる理由とは?

金属に電流を流すとなぜ切れるのかという研究は、すでに1960年代から行われ、その原因について諸説が提案されているのだそうだ。製品の信頼性にも関わるため、企業では、どのような条件で、どのくらいの時間で配線が切れるかという実験がたくさん行われてきた。「それらは一般にミクロンぐらいのオーダーの金属線で実験が行われます。金属の中には必ず不純物や欠陥などが含まれるため、電子がそれらにぶつかりながら流れていく時、熱が発生し、その熱で溶けたりして、金属が断線するわけです。一方、私たちの実験はもっとずっと小さな領域で起こる現象を見るもので、原子1個がどう離れていくかを知ろうというものです。原子スケールの金属の中では、電子は不純物などにぶつかることもなく走るので、今までとはまったく違うメカニズムで、フィラメントが切れる理由を説明することが必要です。」

最初は適当に電流を流して断線させるしかなかったのが、今や「金属の接合部分に、今、原子が42個ある、では次は41個にしようというように、原子数を数えながら金属接合を切っていける」と平川教授は言う。しかも、その原子1つを操作するのに必要な電圧が、金(Au)の場合は、金の原子が移動するために越えなければならないエネルギー障壁を反映した0.4ボルトという特別な値であることもわかってきた。「金(Au)の場合は、金の接合部に0.4ボルトの電圧をかけると、電子がこの電位差を落ちるときに、その位置エネルギーを1個の金原子に与え、これによって金原子がたたき上げられて外れるという、とても簡単なメカニズムがわかったんです。現在では、パソコン操作で自動的に金属が外れていく現象を制御できるようになっています」

金以外の金属でも、特別な電圧の値に物質固有の性質による違いはあるものの、同じように外れることも明らかになってきた。「誰も、このようなメカニズムだとは考えていなかったし、全く予想してなかったので、わかった時はうれしかったですね。……あまりに簡単で拍子抜けしたかもしれませんけど(笑)」2009年に発表したこれに関する論文は、平川氏教授自身にとっても最も印象深いという。「原子スケールのギャップに集めたテラヘルツの電界は、通常の10万倍ぐらい強くなっているんです。そのような電界を作れるのも面白い点です。」

ナノの世界を突き詰めると……

量子物理学が支配する「ナノ世界」の探求から、副産物のように、私たちの暮らしという「マクロな世界」で身近な「フィラメントが切れる」という現象が解明された。「背景の物理を理解することが大事です。そこからスタートしたほうがいいこともたくさんあるのでは?」と平川教授は問う。「大きな系のほうがよほど複雑なはずです。そもそも原子1個、2個しかないところで、複雑なことは起こりようがない。おそらくすごく単純な世界が残っているだけだと思うのです。」

もしそうだとすれば、われわれの技術に対する見方・取り組み方も少し変化しそうだ。「例えばLSI(集積回路)も消費電力を下げるために電源電圧を下げようという方向で開発がなされています。さらに電源電圧が下がり、原子1個の移動ができなくなる電圧以下になると、「切れない配線」へと発展させることもできますね。」

「量子の世界は、意外と突然やってくる」と、平川教授は言う。「古典力学的な熱・光・音の世界から量子力学の世界へ、ある瞬間にぱっと変わる気がしています。」量子技術は、これからより広く、人々にそのような体験をもたらすものになるだろう。