量子情報の最先端をつたえる
Interview #005

上田正仁教授 東京大学
公開日:2013/03/15

【2】人工物質で「物の理」をためす

魔法瓶を開けて温度について考えよう

ボース=アインシュタイン凝縮で原子を冷やすには、まず半導体レーザーが使われます。原子はある特定の波長の光を吸収したり放出したりするので、市場にあるレーザーとうまく波長が合えば、比較的簡単に冷やすことができます。そして原子を一番エネルギーの低い状態に貯めるのが、実はとても画期的な技術なんですね。この技術は「蒸発冷却」と呼ばれ、文字通り蒸発の原理を使って冷却させます。魔法瓶のなかに90℃のお湯が入っているとしましょう。でももし詳しく見れば90℃よりも温度が高い水分子もあれば低い水分子もある……つまり温度というのは、これらを平均すると90℃だということなんですね。フタを開けると100℃に近い勢いのいい分子だけが、"選択的に"外へ出て行き、残った分子だけで平均すると温度はぐっと下がります。ところで魔法瓶を開けておいて、90℃のお湯を室温まで下げても、ほとんど水位は下がりませんね。目でわからない程度減らすだけで冷やせるわけですから、蒸発冷却というのは非常に効率的なんです。ボース=アインシュタイン凝縮の場合、最初に捕捉する原子は約1兆個、最後に残るのが約100万個ですから、ほとんどの原子を捨てることで残りのものを冷やしているんですね。

量子力学的な巨大な波を制御する

全体としてひとつの波の状態となったボース=アインシュタイン凝縮は、量子力学的に見ると10マイクロメートルもの「巨大な波」であり、これは現在のレーザー技術で十分制御できる大きさです。たとえば温度を上げたり下げたり、原子の数を増減させて密度を変えることも、気体ですからそんなに難しくありません。さらに原子と原子が引き合ったり、反発し合ったりする相互作用をも、人工的に制御できます。これを最初に実現したのはナトリウム原子で、原子と原子が反発しあう力を10倍変えられることが実験によって示されました。現在ではおよそ1,000倍ぐらい変化させることができます。物の性質は、ほとんど原子と原子の相互作用で決まりますから、原理的には、どんな物質も人工的にデザインできる可能性が拓けたことになります。

今までとはちょっと違った科学のスタイル

このことが何を意味するかというと……一般に、物質を選ぶと、その物質を構成する原子と原子がいかに相互作用するかは、自然に本来備わっている通りにしか働きません。したがって新しい機能を持った材料をためすためには、それにふさわしい物質を自然界の中から発見したり合成したりするしかなかったんですね。だから理論が正しくても、それを実現する物質がなければ「机上の空論」と笑われたんです(笑)。そこで理論物理学者は自ら、実現できそうな可能性の枠の中に身を置いて、その枠の中でアイデアをしぼる仕事をしていました。ところが量子的な制御によって原子と原子の引き合ったり、反発しあう力を制御して、新しい性質を発現させることが出来るようになった! この開放感は、なかなか魅力的です。いわばこれまでは神様が創造した「物の理」の共通した性質を調べることによって、私たちは一般的な原理を理解しようとしてきました。今度は、その理に従うことで、自由に物を創造できるようになったわけです。ボース=アインシュタイン凝縮を題材として、今までとはちょっと違った科学のスタイルが生まれたと言うことができるでしょう。

量子の世界をのぞいてみよう
Welcome to the Quantum World #005

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