量子情報の最先端をつたえる
Interview #005

上田正仁教授 東京大学
公開日:2013/03/15

【3】量子力学で温度を語れるか?

光の格子で固体をつくる

2013年現在、この分野は気体のボース=アインシュタイン凝縮がつくられた1995年当時の予想をはるかに越えた広がりを見せています。中でも近年、目覚ましい発展を遂げているのが「光格子」という技術。2つのレーザーを向かい合うように照射すると、干渉縞が出来ます。これはレーザーが波であることを示すものですが、波の高さは微小です。この干渉波が作る干渉縞の小さな谷の1つ1つに、冷やしてボース=アインシュタイン凝縮した原子を捕捉することができるんですね。これを二次元的に並べると平面になり、平面に上下方向からレーザーを当てると三次元になります。このように光で作った格子状のトラップの中に原子が1つずつ収まるよう制御すると──この格子点上に原子が規則正しく並ぶという構造は……ほとんど固体の結晶と同じですね。レーザーと希薄な気体で作った光格子中の原子集団が、実は非常に固体らしい性質を備えている。するとこの人工物質を、固体に関する難問や、いろいろな理論的なアイデアを考えるときに、役立てられるわけです。

超伝導素子や量子コンピュータへ

電子や原子の相互作用がどのような状態になったとき、物質が絶縁体から金属に変化するのかというのは、固体に関する重要かつ一般性のあるテーマの1つです。ボース=アインシュタイン凝縮は、このように非常にミクロなハイテク制御で、金属か絶縁体かといった物理で一般的なマクロの性質を取り扱えるところが醍醐味ですね。この他いつ超伝導になるのか、超流動になるのかといった問題に加え、原子がたくさん集まるとどんな磁性を示すかという問題も、今日的な面白いテーマになっています。またこの光格子を、量子情報処理や量子コンピュータに活かそうという試みもあります。光格子の1つ1つの谷に捉えられた原子のスピンを、上向き/下向きで1ビットを構成している量子ビットと考えることができますから、これが集積化した系を、ゲートのような演算処理に使おうというわけです。

たくさん集まると現れる不思議な性質

すべて制御できるならば、理論だけですべてわかるんじゃないか?──という気もしますが、そこが自然の奥深いところで、原子が1、2個ならわかっても、100万個になると、実は実験しないとわからないことがたくさんあります。100万個の原子がお互いに非常に複雑に手をつなぎあって、初めて超流動みたいな不思議な現象が現れる。マクロになって初めて発現する不思議な性質が、実は世の中にはいっぱいあるんですね。理論家としては、やはり作っても結果としてどうなるかというのは実験家に相談しないとわからない。また実験家から「こんなおもしろい性質が出たんだけど」と教えていただければ、理論家が解明できる可能性が大いにある。そういう意味で実験家と理論家のコラボレーションは、私たちの研究チームでもたくさん行っており、非常に生産的ですね。

キーワードは多体系の量子力学

ところで物理学のうち量子力学と統計力学は、それぞれ独立な原理の上に成立しているとこれまで考えられてきました。熱力学や統計力学の教科書を見ると、テーブル板の上にコップがのっている場合、コップの水の温度は接している板の温度と平衡状態に達する、と書いてある。この場合テーブルの板を「熱浴」といい、コップは板という大きな熱浴に常に接しているので、熱浴の持つ熱力学的な性質に近づくというのが、統計力学の大きな理論的枠組みです。ところがですね、ボース=アインシュタイン凝縮で冷やされた原子は真空中に浮いていますから、孤立しており熱浴がありません……あるのは量子だけですね。ところが、私たちはさっきから、この量子だけからなる系に関する「温度」を語っている。熱浴があると考える統計力学の理論を、熱浴のない系に適用しているのです。しかもそれで実験事実がよく説明できるのです。……ということは、今考えている冷却原子の系は、ひょっとしたら量子力学だけから理解できるのではないか?──古典的な系の自由度は粒子の数に比例するのに対して、量子力学系では粒子N個に対して2のN乗個という指数関数的に自由度が増えます。量子力学では、実は原子が100個あるだけでとてつもない自由度があり、これが熱浴の代わりを果たしているのではないか、という予測も立ちますね。量子情報と冷却原分子の知見が融合されて、熱力学というまったく違う分野の基礎の解明につながるのではないか。近年、私たちはこのような問題の解明にも力を注いでいるところです。
(文:上田正仁・池谷瑠絵 写真:ERIC)

上田正仁教授プロフィール

東京大学 大学院理学系研究科(物理学専攻)教授。専門は冷却原子を用いた気体のボース=アインシュタイン凝縮・フェルミ超流動の理論的研究、および量子情報・測定・情報熱力学。1988年東京大学理学系研究科修士課程卒、博士(理学、東京大学)。NTT基礎研究所研究員、広島大学工学部助教授、東京工業大学教授等を経て、2007年より現職。「そもそも小さいころは物理にいこうと思っていなかった」という上田教授。大学時代も最初は実験で「好きだったんですけれども、実験のセンスがないということに気づいて、それで理論のほうへ」と、キャリアは意外にも二転三転……「変わりますよ、人生ってそんなものですよ」。

量子の世界をのぞいてみよう
Welcome to the Quantum World #005

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