あけまして、量子元年。
2007-1-11掲載

2008年、あけましておめでとうございます。
マトリョーシカそっくりな理論物理学者・
「リョーシカ」といっしょに量子を楽しむ
ウェブマガジン『週刊リョーシカ!』を
本年もどうぞよろしくお願いします。

また、このたび
『週刊リョーシカ!』トップページも
最新号や目次へすぐにジャンプできる、
便利なページへとリニューアルしました。
トップページからのリンクで見られる、
“猫顔”一覧などの新コンテンツも、
おいおい拡充していきますよ。
ぜひ併せてご覧ください。

さて、2008年最初のコンテンツは、
わたくしこと「猫」の立場から
どーんと量子的な世界像に迫ってみたいと
思います。

年明け採れたて「リョーシカ!」レクチャーを
どうぞお楽しみください。

わたし いよいよ2008年が始まりました。
リョーシカの今年のホーフは?


リョーシカ
HOPE?


わたし
いえ、「豊富」じゃなくて「抱負」。


リョーシカ ああ、なるほど。それでしたら
量子情報科学における新しいアイデアの提案と
理論研究チームの育成ですね。

わたし うーん、ほんとにそればっかり!
まさしく「専門に」やっていらっしゃいますよね。


リョーシカ
そうです。やるのです。


わたし
そうでした。

そこでわたしも猫として思うのですがね、
昨年は、量子情報もいろいろと
成果を挙げたことですし
今年あたりそろそろ、来るんじゃないかなと。

リョーシカ
??


わたし リョーシのウェーブですよ。
そろそろ量子という新しい考え方が
一般の方へもど~んと、
ブレークするのではないかと。

リョーシカ
はあ。


わたし したがいまして、2008年の大予測は
ずばり「量子元年」!


リョーシカ そういう意味ですか。
とすると……どちらかというと
「量子元年」といえば1900年ではないか、
と思いますが。

わたし 1900年?
そらまたずいぶん昔の話じゃないですか。


リョーシカ ええ。そうなのですが、
量子という考え方が、
プランクという物理学者によって
最初に発表されたのが1900年なんです。

ですから逆に言えば、
そんなにも古くからあるのに、
物理学者を含めて、ふつうの人にも
理解できる考え方になるまでに
なんと1世紀以上を要しているわけですね。

わたし
リョーシカ!
まったく年季の入ったわからなさですねえ。
しかしそこまでわかりにくいというのはいったい、
何か決定的な理由でもあるのでしょうか?

リョーシカ やはり、物理とはこういうものだ、
科学とはこういうもの、という世界観を
がらりと変える概念だからでしょう。

つまり量子という考え方は、
ニュートン力学の打ち立てた
物質世界の「びょうぞう」を、
すっかり塗り替えることになったからです。

わたし びょーぞーと言えば「猫」の「像」。
ということは、私ならばこんなふう。

猫の描像ならぬ肖像

リョーシカ ええと「描像(びょうぞう)」です。
物質の世界がこうなっているという理解の全体像
とでもいいましょうか。
たとえばニュートン力学/古典物理学では、
自然界のものは連続的な値をとる、
と考えられていました。

これは現在の私たちの常識にもぴたりと
一致するので、すぐにわかると思います。
たとえば、飛行機は軌跡を描いて飛んでいくし、
投げたボールは弧を描いて飛んでいきます。
その通り道のどこをとっても「連続」している。

わたし
つまり、こんな感じ、と。

古典的な描像

リョーシカ ところが量子力学は、この「連続値」に対して
「離散値」すなわちとびとびの値をとる、
と考えるのです。
そして、これこそが1900年、
量子の第一歩となった考え方です。

量子的な描像

わたし へえ~、そうなんですか。
でも「離散的」が、どうしてそんなに
画期的なのかなあ?

たとえば世の中の流れとして、
レコードやカメラがアナログからデジタルへと
切り替わっていきましたよね。
とびとびの値と聞いて、わたしは
この「デジタル」が思い浮かんだのですが……。

リョーシカ うーん、それと話が合うかどうかわかりませんが
音でも景色でも、自然界というのは豊富であって、
細かく見れば見るほど、詳細にわかる。
ところがこれ以上は細かく見られないという限界が
どこかで出てきますね。
これは、見る方の精度に限界があるからだ──
というのが古典的な描像です。

一方量子的な描像は、物のふるまいは
本質的に離散的なのだ、という考え方です。
エネルギーのやりとりや、電子のふるまいといった
物理の基本的な作用を細かく見ていくと、
すべてひとつ、ふたつ、と整数で数えられる
一定量ごとにやりとりされている。
自然界はそのように成り立っているのだ、
ということなんです。

わたし うーん、でもやっぱり、
自然はなめらかに連続している、って
わたしは、心のどこかで思っていますねえ。

たとえばさきほどの例で言いますと
デジカメで撮った初日の出の画像に、
グレーからオレンジへと連なる
空のグラデーションが写っていたとします。

この画像をパソコンの画面で
どんどん拡大して見ていくと、
ギザギザのタイル画のように
なっていくじゃないですか。

とびとびの値というとまさにこのように、
自然の空は徐々に色が変化していたり、
なめらかな曲線を描いていたりするけれども、
それだと扱いにくいから、
簡単に数値に置き換えられる形式にしておこう、
というものなんだって、ふだん理解していますね。
無意識にですが。

リョーシカ そのようなものこそ古典的な描像です。
だからデジタルもまったく古典的なものなんです。
もうほとんど無意識的に
当たり前だと考えていること、
物についての常識などは、たいがい古典的です。
ところが量子的な世界は、古典に相反するものです。
そのことが量子への理解を阻む最大の理由でしょう。

では量子的な世界はどうなっているのか、というと
まさしくとびとびです、ぴょんぴょんと。

わたし ああ、ほら、「量子飛躍(quantum leap)」
と呼ばれているのが、それですね!

すると考え方としては、量子の場合は、
物はとびとびの値でやりとりされているけれども、
その値が十分に小さいから、連続して見える……。

リョーシカ
その通りです。

ところが「十分に小さ」くない場合には
おかしな現象となって現れる。
私たちの常識に合わない、理論として
説明できないことが起こってきます。

そもそもそういう比較的地味な不整合性を
理論的に解決しようというところから、
量子論は発達していったのですよ。

わたし
まさに量子元年。


リョーシカ
そうですね。


わたし でもやはり、今年こそ
量子“飛躍”の年となりますように。


リョーシカ
いや、それはちょっと……飛びすぎです。


わたし
あっ、リョーシカ!

(つづく)



週刊リョーシカ!
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というところで、リョーシカは
研究チームのグループミーティングに参加するため
飛ぶように去っていった……。

(ダイジョーブカ?、リョーシカ!)

さて本年も引き続き『週刊リョーシカ!』は
毎週(だいたい)金曜日にお届けする予定です。
本年もどうぞよろしく。

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第2編:量子力学編
第11週~第20週

第11週:あけまして、量子元年。
2008-01-11
第12週:予測できない、おもしろさ。
2008-01-18
第13週:世の中は不確定性原理に基づく!?
2008-01-25
第14週:「トンネル効果」というふしぎ。
2008-02-01
第15週:測定という穴から、量子をのぞく
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